郷土を開いた人々

(1)利平ぐりにかけた願い



全国の利平ぐりに

 健吉は、「日本ぐりと中国ぐりの良い点だけを受け継(つ)いだ、新しい栗を作ることに成功しました。」と、農林省(のうりんしょう)にとどけました。そこで、さっそく農林省はこの栗を調べました。すると、たしかに健吉の作った栗はすばらしい、ということがわかりました。
 そのため、昭和二十五年(1950年)には、『利平ぐり』という名前をつけてもらうことができました。
 利平(りへい)ぐりの名が知られるようになったのは、昭和二十六年(1951年)ごろから、クリタマバチという害虫(がいちゅう)が日本中に広まった時のことでした。この虫がつき、栗の木が弱って、実がならなくなりました。
 ところが、利平ぐりにはこの虫がつかなかったのです。 そのため、利平ぐりはクリタマバチに強い栗として、日本中に広まっていきました。枯れかかっていた栗の木に、利平ぐりの枝(えだ)をつぎ木していくと、木が生き返ってきました。
 自分が苦労して作ったくりが日本中に広まっていくのを見たとき、
このくりができたのは、私が頑張ったということよりも、天からのめぐみか、ご先祖様(ごせんぞさま)のおかげです。) と、健吉は思いました。くりを作っている日本中の人たちは、たいそう健吉に感謝(かんしゃ)しました。このようにして、長い年月とたくさんのお金をかけて、やっとのことで健吉が作り出した利平ぐりですが、その枝芽(えだめ)を切ってつぎ木していくだけで、誰にでも簡単にふやすことができ、また、高い値段(ねだん)で売れるので、日本中に広まっていきました。

利平ぐりにかけた願い
 お わ り 

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