郷土を開いた人々

(1)利平ぐりにかけた願い



新しい栗をもとめて

 大つぶであまい栗をたくさん市場に持って行くようになった健吉は、愛知(あいち)岐阜(ぎふ)三重(みえ)では一番大きいといわれていた名古屋の甘栗店の今井さんと知り合うことができました。そして、
「土田君が持って来る栗は、なかなかいいね。どれだけでも買うから、たくさん持って来なさい。」と、いってもらえました。
 ところが、健吉が今井さんと話をしているときに、健吉の持って来る栗よりも十倍も高く売られている天津甘栗のことを知りました。 この話を聞いたとき、健吉は、「中国から来るような栗を、大桑でも作れないものだろうか。」と、思いました。
 それからの健吉は、栗作りで有名な土地に出かけて行っては、どんな作り方をしているのか、どんな栗を作っているのか、研究するようになりました。そして、よい実のなる枝芽(えだめ)や実を分けてもらっては、大桑で育ててみました。また、中国(ちゅうごく)の栗や朝鮮(ちょうせん)の栗を送ってもらって研究もしました。
 まず健吉は、こうして手に入れた栗を山にまいてみました。しかし、野ネズミが食べてしまいました。そこで、畑にまいて大きくしてから、山に植えてみました。しかし、根がうまくはりません。
 そこで、山に栗をまいたときは、少し大きくなるまで野ネズミに食べられないように、かごをかぶせることにしました。
 畑でなえを作って山に植えるときは、大きなあなをほって、その中に木の葉などを入れておきました。こうすると、根がよくつきました。

山で使ったかご

 いろいろな研究から、大桑の土地に合った栗が生まれてくると、健吉は近所の人たちにも教えてやりました。つぎ木のやり方を教えてもらえると聞いて、遠くからやって来る人もいました。
 この話が県庁までつたわると、係の人が、「ぜひ、わたしの仕事を手伝ってほしいのだが、やってもらえないだろうか。」と、いってきました。 それで今まで自分が勉強したり研究したことが、みとめられ、昭和七年(1932年)に、岐阜県の栗作りの先生になりました。
 この間も、健吉は栗の研究を続けていました。 いくつものつぎ木をし、数えきれないほどの栗をまいてきましたが、なかなかよい栗ができませんでした。それでも、中国から送ってもらった栗からは、小さいがよい実のなる木が育ってきました。健吉は、もっと大きな実にできないだろうかと考えました。

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